話をろくすっぽ聞かない人達

大まかには、そういう人達に対する怒りと嫌悪感。

 

彼らは、メディアに掲載される記事の書き手や当事者の

無知だったり過ちだったりを愚弄するけれど、

肝心の彼らは、そこに書かれたことと、手元にある(=己にとって既知の)情報

だけで突き回していて、そこには読み解こうという気概があまりに不足している。

 

話を聞くということは、その話題を多角的に見回すことで、

一視点から論破するようなことでは決してない。

 

ニュースを自分の物にするためには確かに、消化の過程で、

自分なりの位置づけを再度行うことが不可欠なのだろう

(経験がないので言い切れない)。

でもそれは、記事の見出しを目にしただけで、

どのように記者や当事者を捻り潰せるか、そんな見当をつけることじゃない。

と言うより、それだけに終始するから彼らには情報など要らないのだ。

何を言ったって同じ論調でキレるだけなら、どんな話も彼らにはするだけ無駄、

けれど彼らには要るのかもね。何処かにぶつけたいのだから。

 

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以下、完全なる個人的メモ。

 

作曲し終えた曲を振り返って気が付いた。

躁状態の時分にしかゴールに漕ぎ着けていない。

鬱状態じゃなければ出来たのか、それとも躁でなければ叶わないのかは

分からない。怒りが灰になってから、作品に託すメッセージを失って、

去年から今年にかけてストックしてきた詞に全く感情移入出来なくなった。

書き掛けの小品や二次創作にも。だから、

ある種の人間臭さに物を言わせられなくなった今、

物作りにおいて指針が欲しくなった時には、

ただ綺麗なものを、と思うようにしている。

 

で、当然と言えば当然なことに、外を顧みない僕には、

身近の人工物を除いた綺麗なものに関する実体験が皆無に等しい。

綺麗ということ以外に何の意味も強いてこない世界の。

だから、綺麗だと感じる場所に実際に赴いて、

その中で表現しようと悩み倦ねることが出来たなら本懐だと思う。

人間を忘れることの叶う処で、だけど、唄やギターは既に人工の産物で、

そうしたツールから吐き出す音もまた僕という人間から作られた物に

他ならない訳で、メロディーは常に先人の編み出したルールの上にある。

素材となる綺麗な光景だって、人間の影響下にないところを探す方が難しい。

厭だな、と思う一方、そこに思想が関わらない時、

人工物もまた嫌悪感から開放されて映る気がした。

嘗て思想に晒された物であっても、今そうでなければ。

 

資金も体力も揃わない今は、映像からイメージを膨らませて

浸かることで凌いでいくのが現実的かな。

 

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先日は数年ぶりに、求めていた疑問への一解答となる台詞と出会った。

HUNTER×HUNTERのジンが、世界樹の上でゴンに語り掛けた言葉。

http://matome.naver.jp/odai/2135739078791580201

使い古された「結果より過程」という話でもあるものの、

それだけで言い表されると腑に落ちない。

「欲しがっていた結果よりも、

 それを手にするために必要だった物」、

この、必要だった物って詞の役割が途轍もなく大きい。

と言うのも、厳密にはジンの話自体にではなくて、

ジンの言い回しによって、思考の底の澱みが揺すられ、

不純物なしの確信めいた物が汲み上げられた感じがしたんだ。

 

僕は最早、純粋に「欲しい」とは到底思えなくなっていた。

それを眩しく感じられなくなったから。それでも辞められないのは、

欲しい物の為に積み上げていく地道さ。

その一方で、一つも完成しない未来を怖がった。

その怖れは、未完成や無意味な繰り返しを虚しさとして片付けるから

覆い被さってくるのであって、

もし僕の目的が成果以外にあったらどうだろうか。

経過にこそ意味を見い出しているのなら。―――それはそれで怖かった。

欲もない上に愉しむ心もないのでは、他に何処を探せば原動力が見付かるのか。

どうやって完成させられるというのか。

 

評価されようと思えば完成させなければいけないということは、

道路標識を見るみたいに、形式上では分かっている。

真面目に取り組むことだけが趣旨のような課題でも、

期間中に形にならなかった時には点数が伸びなかった。

自分でも、物に出来ない感覚は非常に辛い。

でもそれ以上に、何もやらないのはもっと辛い。

何かをするという行為は、それが出来ない自分と如何に付き合っていくかで、

僕はそこから逃げ出したくない、だから諦められない。

綺麗に終われなくても。

 

ジンの詞に加えて、一ヶ月程前に父の口から出た言、

「その時に出来ることをするのが頑張ってるってことで良いんじゃないか」

も腑に落ちた。直ぐにはぴんと来なかったけど、

そう聞いてから自分なりに少し試してみて、同意出来るようになった。

 

でも、ゆらゆらしている。そうだ、とは言い切りたくない。

書いた直後から強い不安に襲われている。

不完全に書き残すと、書いていない方の考えがおざなりにされているようで。

そんなつもりはないのに。

また「あの頃は馬鹿だった」と振り返るのが怖いみたい。

後悔とは違う何か。羞恥。誠実が食い散らかされた後に似た感覚。