冬にあった二つのことは、そこでそうしたら終わること
長年観たいと思っていたエターナル・サンシャインの1/3と少し鑑賞して、
昨晩は寝た。鑑賞中に実に当たり前のことに気が付いた。
一回、または複数回、似たような厭な扱いを受けて、耐えられなくなって、
やってきた相手をしばいたり砕いたりして、その後だ。
縁を切る場合。これは相手が繰り返すことが明白に判っている時。
妙な経験に基づく勘が働いていた場合には、初対面から察しているので、
相手に何の話もしないで去ることも多い。
二つ目。関係は維持しているが、そこに最早一片の価値も見出していない為に、
相手へ尊敬の態度をとらなくなる場合。これは相手が僕にとっての問題行動を
慢性的に同じように、同じ方法論、考えで延々やっているのを長年見てきていて、
変わる気のない人間だと重々理解した上で、
こちらから縁を切る労力が精力的コストに見合わないから、
飼い殺しみたくして無意味に相手をぶら下げている状態。
以前には誠意を持って接していた分、このルートに入ると気がずっと楽になる。
三つ目。関係性は以前と何も変わらないが、それで上手くいく場合。
これは、前から上手くいっていた場合だ。
僕とトラブル無しに関われる人というのはおそらく、
勤め先や病院といったプライベートでは繋がらない所の縁の人にしかいないと
思うので、この三つ目にあり付けるだけ相手は非常に寛容だ。
以上を前提に、何に気が付いたのかというと、
僕は人と離れる時、多くの人が恋人と離れる時と同じように、
相手が自分の厭な部分を改めてくれる見込みのない場合に切るのだということ。
先週だったかに、ネットゲーム上でだけの知人を
フレンドリスト(ゲーム上の仕様)から削除した。これは殆どしないことで、
全てのネットゲームプレイ歴の中で二度しかしたことがない。
その人は度々自分の作品について宣伝しては閲覧を押し付けてくる人で、
一度、僕は一つも見たことがないので辞めてくれと断った。それなのに、
また個人宛てと分かる形で(フレンド全員に一斉送信しているのならまだ
ましだと思う、何れにしても削除していたけれど)、作品の更新情報を
送り付けてきやがった。一回しか遊んだことのない、
しかも最初から悪印象だった人間がインコ・オウムに変じたなら、
コザクラインコを家族に持つ僕でもほっぽり投げる。
星の王子さまの狐が言うような原理だ。
今後はいっぺんにフレンド申請されるような場所でも、厭な奴そうだと思ったら、
その人のものだけ申請ごと削除することにする。現実でのそういう場面でも。
題名と内容との関連性は、読めば自分には何となく思い出せるように
出来ているので、書かないで終わる。