判ったよ

或いはどうすれば生きられるかもしれないのか。

 

両親と絶縁して、行方を眩ませることだ。

 

自分の努力が報われたとか、我慢した甲斐があったとか、

虫の良いことを思われるその未来が許し難い。

僕が、僕のために、僕の力だけで、ここからやり直す。

両親の手を借りない。両親に手柄を渡さない。

でなければ無理だ。

この家庭というしがらみのために、

この家族とかいう誰も訪ねたがらない苔生した墓石のために、

これ以上は一刻だって苦しみたくない、

努力したくない、考えたくない、寄り添いたくない、許したくない、

割を食わされて寛大のポーズをとらされたくない。

総てはこの狭量な僕。

 

何が「今後お前を一番優先する」だ。「そういう風に見えるように努力する」だ。

それは今もしてるってことの反語だ、馬鹿野郎が。

僕を一番に優先するのなら殺してみろよ。

どうして死ぬことだけが許されないと概念付ける。

それは僕に死なれたら自分が辛いからじゃないか。

どうしてそれが言えない。

言葉、言葉、吸収量と反比例に馬鹿になっていく人間の愚かさ。反吐が出る。

 

愛ほど不誠実で不確かで無考えで役立たずな物はない。

あれは雪球の中に込める石ころ、あれはいじめる方法の一つ、

少なくとも彼の愛は僕に何の感銘も与えなかったし

これからも受け取りを拒否する。

仮に両手首を掴まれてでも渡されるのだとしたらそれは、

朱色に焼け切った鉄板がぎゅううと押し付けられるに等しい価値だ。

 

愛したから、裏切られたくないんだろ?

愛した分、「損」で終わらされることを拒否しているだけだろ?

そんなエゴが僕に間違うなと宣っている。

人は殺さない、でもくれぐれも言葉選びを軽視するな。

考えのないそれら一つ一つが空気に触れる度、渾身の力で僕は潰している。

文字通りの言葉狩りをそうとは知らせずにやっている。

 

あの人の言うことは、いつかのあの子とさして変わらない。

「君も大変だと思うけど頑張って」? 「君も」? 僕と、お前が、お前らが?

この卑怯者ども。何処が「も」だ。

貴方が頑張ることに表向きでも専念できたのは、

僕が裏でずっと息を止めてきたからだ。

頑張ることを許されてきた人間の疲労感と、

過ぎた酸素欠乏の連続で萎びれる感触、

どうやって同じ天秤に掛けるつもりだ。

どうして「お前も大変、俺も大変」ってことにしたがる?

その方法論しか知らないままの自分でい続けられる?

「お前が大変なことを俺は知らないしこの先も知ることが出来ない」のだと、

そう言い切る発想が、意気地が何故ない?

いつもいつもいつもいつも、そして結局は頭を下げた今日という日すらも、

僕のせいにして。僕だけのせいにして。謝りもしないで。 

 

もう僕は厭なんだ。

あの人達が哀しい苦しいと言っていることは、

両二名合計して多く見積もったところで精々4割じゃないか。

僕が後の7割に近い6割を独りで無表情でやり繰りしてきたんじゃないか。

我慢して、剰えリップサービスして、笑って、愉しそうにして、

ずっとずっとずっと僕が2+2=5にしてきたんだ。足りない1を僕が。

僕じゃないか。

僕の1を返せ。二度と取り戻すことの叶わない1の返済と銘打って、

僕が欲しくもないお前らの10でも20でも支払い続けてみせろ。

絶対に過労死するな。僕はここまで死ななかったんだ。

僕がやった26年間と同じだけはみ出した値を補ってみせろよ。

赤字から利益を出してみろ!

仮に出来たとして、しかしそれは僕の1に値しない。

何故ならお前達の数字だから。

 

僕は人の数字なんざ要らないんだ。

それは愛じゃない。命だ。

僕は命から借りてきていた、そして大事な物を確かに壊した。

僕が泣くのは心からはみ出た怒りと、憎悪と、吐き気と、嘲笑と、

この上ない屈辱感と。哀しみはない。何処へ行った。

最早遠すぎて、知る必要性も感じない。

 

どうせまた「判った」ということにされて、僕がさせられて、

また僕から1を差し出すようにシステム化される定めだ。

ここにいる限り。

裸で何も食わないで何処にも住まわないで生きたい。

彼らの魔の手から逃れて、そこでひっそり生き延びて、

寿命できちんと死ねた時に、それを絶対に奴らの幸せとして認知されたくない。

僕の死に物狂いを奴らの幸福に置き換えられるのは絶対に絶対に絶対に絶対に、

 

美談じゃないんだよ。