こんな風に思うものか

David Bowieの死去に泣く。どうして泣いているのかを考えながら。

僕は、彼を好きだったんじゃない、好きになれそうな気がしていた。

彼は僕の好む音楽を多く世に送り出している気がした、

彼は僕の好む誠実さに溢れた人のような気がした。その成否を、

彼の時間の尽きる内に自分の知れる範囲で判断しきれなかったことは、

彼と同じ時代に生きることの叶わなかった現実に等しい。

恐らくはそういうこと。

 

僕なんか全然、出来てはいない。

 

途方も無く疲れている。

両目が空洞化し掛けているように、どんどん奥まっていく感じがする。

僕の完成形をどうして他人に歪められなくてはならないのか、とか、

「出来ること」が「皆に認められている状態」だと決め付ける迂闊さとか。

「そんな風にもやれるのにね」ということは、

それが貴方の識る正攻法、正解なんでしょう。

あんな一片の水遣りもしていないガラクタ。

僕は他人から測られる自己の得手よりも、

不得手が故に自分が掛けてきた時間の長いものの方に愛着を持つ。

それが混じりけない僕の望みだ。

自分の価値を数値化して提出しなくてはならない時には自身が採点ペンを握る。

他の奴らに渡すことを絶対に許すな。

現実なんて所詮、皮膚から外側の奴らがやっている何かのことでしかない。

想定した以上の物量を誇る恨み辛みをなぞりながら、

何もしないことを疑わないままで、何だか不貞腐れている。

明日の予定は断った。これから何処で過ごしていくのかが決まるまで、

何にもする気の起きない日々が続くのだろうか。

空気を換えに窓を開ける。

それは自分の意志ではなくて、大概が気まぐれに任せた行為。

自分以外の人間にぶち撒けられても、起こすのは手前で、

彼らに責任は追求されない。

現実逃避に焦がれることも出来ない中、

自分がまた動き出す未来だけは何とはなしに自分で決めている。

でも何の為に。

辿り着くことがもしあっても、眺めを眼下に「こんなものか」と零すだけ。

だから最初から一切動かないでいるとは、今は、しないでいるけれど。

しないだけ努力賞と無意味な価値を付加しては、

お前に幸せを追う権利などない、と、自覚なく無邪気に差し出してくる。

僕はそれを幸せとは認識していなくて、

辛うじて生活している今をせめて維持する為に必要な偶の息抜きと思っていた。

そのすれ違いは兎も角も、

幸せになりたいとか満たされたいとか、

生まれてこのかた考え付いたことのない者に

そんな余計な世話を焼くあいつはズレている。

全部が全部、堪らなく厭だ。

 

(追記)

そうだった。自分の思っていることが最たる理由の時に、

誰かもそう思うからとか、貴方の為にとか、

責任転嫁して欺く姿勢が嫌いだと云った癖に。

「多くの人は求めていないから」って言質がとれたな。

駄目だよ。