理由は解らないけれど

嗚咽を堪えて(きっと堪えなくても/堪えなかったことはここ最近ないが)いると

目からただ落涙するよりもずっと喉が使い物にならなくなるのだけれど、

歌いながら嗚咽する分には案外、影響は少ないのかもしれない。

歌っている内に歌唱に集中するからだろうか。

 

何の気なしに藤原さんの楽曲を数曲口ずさんだら、

その時の気持ちにそぐう唄ではなかったのに泣いていた。

自分が分からない。

 

良くないのは、ずっと家にいて、

代わり映えしない父母の言い争いを聴き込んでしまうこと。

あれが聞こえなくなるにはベランダに出る他にない。

それから、絵、小説、楽曲等の制作活動をしないこと。そして、

それらに僕が何の意味も見い出せないこと。

 

「愉しい」は要らない。半日もしない内に真っ逆様に落ちていく上に、

そう感じている時ですら、「何が愉しいのだろう」と

冷ややかな視線を投げている自己を内側に見付けては、

その場に居るのが堪らなく苦痛になってしまう。

毎年、年末から正月にかけて

具合の悪さを誤魔化し切れなくなるのはこの所為だろう。

 

十年前、自殺を図った僕。

十年も我慢したところで何にも変わりはしないよ。

只、失格者の自負が完璧に固まり掛けるだけだから。