過食3日目

5日分は優に食べていると思う。

この整っているだけの生活をぶち壊して、死んだように何も考えたくなかった。

本当のことを言えば11月末から気が狂っていた。

心が何にも感じなくて、このままでは死ぬこともままならないと怯えていた。

 

「なりたいもの」になれば愉しいのだと言う。

僕は違う。

なりたいものになれば、慎ましく、

誰にも干渉されることのない時間が

僅かでも増えるのではないかと考えているだけだ。

そこに「愉しい」という感覚は望むべくもない。

寧ろ、「愉しい」から遠ざかるための徹底した態度でしかない。

 

何の為にギターを弾くのかが分からない。

だから一生、僕はギターが弾けない。

どうして唄を歌うのかを忘れた。

脳の皺一本ゝゝにこびり付いていたあの唄を忘れ掛けている。

そんな僕が自分の唄を作るだろうか。

ここ二ヶ月以上、日常的に、

死にたい、と、呪文のように繰り返しては無表情のままで煩悶している。

 

部屋の整理をしている最中、頭の中で自身の遺書を詠んでいた。

ほんの僅かに心が安らぎはしたが、間を置かないで過食を始めた。

僕の歌声をカラオケに例えた人も、

僕が既にGIDから開放されたものだと思い違いをした人も、

僕を可愛いだけのペットにしておきたい人も、

僕を拍手喝采の道具としか捉えていない人も、

僕と性的に宜しくしたいという人も、

父も、母も、誰一人、僕を識りはしない。

彼らがもし僕の死に泣いたとしても、その涙は僕には掠りもしない。

仮に、愚かだと嘆いたとしても。

その人が僕の味わわされた何を識っているというのか。

 

識られていないのならば、識られるように語り尽くすべきだと誰かは云う。

僕は厭だ、言いたくはない。

言った傍から言葉は嘘になってしまう。

彼らの「見たくない」心に遠慮した、

酷く愉快で軽やかな調子に語らざるを得なくなってしまう。

それは僕の声からは逸脱している。

 

 僕が見てきた物、感じてきた物の総てを体感してしまう人があるとすれば、

それでも僕は、「だから何だって言うんだ」と応じるだけだ。

 

もう何ですらも口にしたくはない。