すこしだけ

昨晩、惰性的にしていた作業の尾を引かせ、

睡眠の代わりに食べ物をたらたらと摂った末に、

眠気が薄く張ったぼんやりした頭のまま、日中までやり過ごした。

昨日に耳鼻科へ行って、外を方方、見て回り、

何となくしたい気のすることを漫然としていたら、

ここ二週間と少し固く締めていたボルトが緩んでしまったみたいだ。

昨日も今日もあまり良い一日に出来なかった

(練習曲の調が自曲と同じだと気が付いて、コード進行を書きはしたが、

その程度のことでは誤魔化されない)。

二日間行っていた、一日の行程を分刻みで書き留めていた反動だろうか。

その是非を検証することもなく、当たり前に記録し続けようとしていた頭は、

この悪くないと思いがちな怠惰な二日を経て、

無毒化されたアンモニアのように体外へと排出されたように思う。

明け方に食べてしまったことが気掛かりだけれど、今は心配しないように。

一度「壊れた」と思うと取り返しがつかないところまで

完膚無きまでに破壊し尽くしてしまう自分を判ってる。心得てはいないけれど。

 

才能のなさって言葉がプロ(と呼ぶと本人は曖昧な顔をしそう)の文章にあった。

「才能のなさ」とは何なのだろう。

それを嘆く姿をちらとでも傍から目にしたことのある僕には、

才能のなさを免罪符のように用いることで、

行き場のないフラストレーションを肯って享受してやるような―――、

遠回しに自慰の様相を獲得することのように見えた。

僕自身はそこに安らぎを見ないし、

「出来ること」の功績を潜在力に持っていかれるのを好まないから

しないんだけれど、邪道だとも思わない。

過程がどうあれ、最終的に出来れば何だって良い

(でも、出来ている人をして天才で済ませることは嫌悪する)。

自らに向けられた鬱憤が

ガス抜きのようにコントロール出来れば理想的だとは思う。

 

また無駄なことを書いた気持ちがしてる。