オリジナルを超えるものはない、なんて

僕は全くそうは思わない。

オリジナルを生み出した人以上にオリジナルのことが分かる人はいない。

そうも思わない。

僕はオリジナルを作った当時の気持ちを忘れてしまったことがある。

それは思い出したとしても、もうその時とは違うもの。

ずっと覚えていたとしても、手にした時から不変の感情などない。

純粋な強弱であっても、変わってしまうんだ。

再現しようと思うから超えられない。

自己流の解釈でやれば、その解釈の方が受けることもある。

 

そして僕は狂気を必要とはしていない。

そんなものにならなくとも、物を作ることは出来る。

 

誰の話も流して。

友人は居ない。

 

適度な距離を保った関係の中では見つけてもらえないから、

友人を作るべきだということなのだろうが、

その友人にも見つけてはもらえないのなら、

何処ででも透明にされる心地だ。

かと言って泣いて演説する気も起きない。

面倒臭さを開示することが友人への態度なのだろうと思いはしても、

自分がそうしようとは思えない。

そんな彼らにおべっかを使うこと、いや、

使わせる彼らのことが嫌で堪らない。

人間の欲しがる姿を目の当たりにして。

彼らと同じになりたくないから開示しないのか、でも、

僕が本心から求めるものは人として生来当然のことだ。

それを要求しなければ得られないことが可笑しい、だから、

要求させる人は初めから、僕の友人にはなり得ないのかもしれない。

どんなに優しい人であっても。

 

僕は優しさに関心がない。

公正、平等。そういったものを重視している。

それは情状酌量も含む。僕が思う公正さには不可欠だ。