猶予

猶予を考慮することはない。

逆算して間に合わないから「しない」なら、その場で「死ぬ」しかないから。

其方に回していかざるを得ない金が増えて、精神が貯蓄まで耐えなかったら、

それもその時の話でしかない。何かに備える必要はない。

 

カウンセリングにおいて、一通り自己の問題は言い切った感がある。

後はどう言い換えていくか、また、対処していく内にどう変異していくか。

【今後、カウンセリングで模索すること】

・過剰適応をしない(≒抑える)方法

・対人中、過度に演じない方法

・強迫観念から開放される方法

抑鬱症状を取っ払う方法

・自身の不快な感情をいち早く(出来ればその場で)察知する方法

・怒りに行動を束縛されない方法

・他者の怒り、怒声などに過剰に脅かされない方法

大まかにはこんなところ・・・?

 

現段階ではカウンセリングで言う程のことじゃないから

此処に書くに留めておきたい話に、

自分の感情が相手に伝わっていなかったことが判明した時の

忘れ難い苛立ちがある。話さなければ分からないことなんだけど、

話したところであまり分かってもらえないことでもある類のね。

これは僕が「類は友を呼ぶ」の法則に甘んじてこなかった

(ていうより、本性を匂わせてこなかった)結果でもあるのかも。

当事者じゃなくても少し考えれば解ることってあるんだけどな。

あれか、人に期待しないから、変化も起きない(変化する必要がない)。

考え過ぎる、演じ過ぎる自分の感覚を常識に当て嵌める気がないのなら、

それは、そういう場面で感じる不快さを切り捨て、諦めていくことになる。

いや・・・「いくことになる」んじゃなくて、「現状維持」か。

ずっとそうしてきた。何故か。父方の祖母の影響が強いから。

 

彼女の何らかの発言を受けて僕が

「デリカシーがなさ過ぎる」という声を飲み下している時、彼女は、

「いちいち小さいこと気にしなさんな」ともう続けてしまっている。

その言葉によって、僕の気にしていることが「小さいこと」になってしまった。

「小さいこと」にされたくないから自分の内々に仕舞っておくようになった。

僕は自分がうじうじした人間だってことに昔から勘付いていた。

けれども、「大らかでさっぱりした人間であってほしい」という祖母の願望を

あらゆる方角から効果的に(※自分にしか判らない表現で構わないと

判断したからこう書く)当てられた結果、無自覚の内に、

そのように振る舞わなければいけないものだと誤った学習をしてしまい、

つい先日まで実行さえしていた。思い返すと、ここ数年内に言われた

「あんた意外と細かいこと気にするのね」という彼女の言に僕が安堵したのは、

ここに端を発した正常な反応だったんだろう。

彼女の、現実を理想化してその通りに誤解してしまう能力は、

「口に出さなければ本音は伝わらない」って基礎すらバラバラにしてくれる。

今でも会う度に苦戦させられるけど、その都度フィードバックを試みているから、

彼女の歪曲にめげないで、嫌なことは嫌だと

徐々にはっきり糾弾出来るようになっていくのだと思う(思いたい)。

 

身近な人間として振舞っている割には、

こいつらって僕のこと本当に殆ど知らないんだなと、感心を覚えている最近。

そんな感心があるかと言われても、他に表しようがないというか、

それ以外の感想が「疎い」しかない

(幸い、どうしてそんなに阿呆なのかと憤ることはない。

 「どうして無知な自己を恥ずかしげもなく振り翳しては

 相手をこけにすることが出来るのか。この手で息の根を止めさせてくれ」

 とまで感じさせる類の奴は、阿呆の域を超越しているし)。

「あいつほんと馬鹿、頭痛くなる」って独り言ちたり、

その一言だけ誰かのいるところで吐いたりする機会が増えた。

・・・じゃなくて、「出来てきた」。

こういう言い捨て方は今までしてこなかった。

代わりに、如何に公正な思考を保つかに拘って、

人に、出来るだけ客観的にその状況を伝えては、

その人がどう考えるのかを伺っていた。そうやって、

「自分が今抱いている感情は、抱いても仕方のない種類のものなんだ」と、

自身を納得させていた。心が何をどう感じようが自由なのに。

 

「人の言うことが気になるか」という問いに対して、自分という人間は、

「いいえ。でも、どちらでもある」と答えるのが適切のように思えてきた。

必要としていない場面で聞こえてくる人の声は、大音量のノイズだ。

耳障りで苛々する。節介でしかない奴らの声には決して結論を譲らない。

おそらくは生い立ち上、人の言葉に過度に同調圧と内面化の傾向を見ては、

触れられそうになった端からはたき落としていく、そういう苛立ち方。

人の意見が要る時には割り合い直ぐ判断がついて、

貰う言葉にもナーバスにならない。