舐めてるね

前に母が、僕と同じ障害を持った人が、

就職するにあたって飲まされた条件と、

電話口で号泣している姿とを映した番組を指して、

「見ろ。社会に出るとはこういうことだ。我慢が必要なんだよ」と

甚く得意気に、何かに勝ち誇ったような顔で言ってきて、僕は、

「貴方は何を言っているんだ」と尋ねたか、ただ思ったのか、したことがある。

数日前の記事にも書いた通り、

僕はそういうことを母からしばしば強く言い聞かせられている影響で、

そういう論調や正体不明の偉そうな態度が全くいけ好かない。

 

そのことに今日、カウンセリング中に触れる機会があった。

その場では、「そう言いたがる人ほど言うほどには我慢していない場合が

多いので、鵜呑みにしないように受け止め方を変えつつある」と纏めたものの、

今ふと思ったのが、そう言われることに限って(というか、

それくらいのスケールのことでなければシリアスな口調で

口外しないからというのが大きな理由か)、人の我慢の域を超えた苦しみだ。

もしこれが業とか宿命とかの、信心から来る一種の我慢比べの話であったなら

「我慢するべきだ」と言う人がいても得心出来る。

僕も信者ならそのように努めるべきだと心掛けるようになるかもしれない。

言うなれば、特別に優れた性質の人間になりたいという

心構えがある人が目指すべき処だと思う。

でも並の人生を送る上でその高尚さが不要であることは明白だ。

僕には、TV画面の向こうで泣いている人の気持ちが痛いくらいに伝わってきた。

そして、こんな哀しみは経験したところで何の糧にもならないから

避けて通って構わないし、大勢の社員の理解を得ない代わりに

新入社員一人を生贄として殺すなどという条件を飲まなくとも、

貴方を貴方のままで居させてくれる職場環境があるんだよ、と、

先程にはっきりと思い至った。

これと、冒頭の母の言とを配合する。母は、

「社会に出るとは、自分が自分のままでは居られないことなんだよ」と

言っていたのだろう。舐めてるね。

へりくだること、不本意でも肯うこと、敬語を崩さないこと、

身だしなみを整えること、だらしない癖を出さないこと。

こういったことが彼女の言うところの「自分のままでは居られないこと」だ。

自分の価値観からしか物を想定出来ていないことへの無自覚。

指摘されても、分かっていくための思考を怠ったままの自我。

映像中に苦しむ人が、母が勝手に想像したっぽっちの

「万人が耐えている常識」を「強いられた」と言って号泣していたのだとしたら、

それは母にとって、さぞ日常的な一コマに映ったのだろう。

彼女にはきっと、寝坊することが許されなくて号泣した日があったのだろうな。

・・・これこそ舐めてるような口振りだけれど、僕は本気で言っている。

号泣している訳がないのにな。

 

「あんた、当事者の家族だろ」僕は一昨日だかに、彼女に聞いた。

「病院の先生の言葉は患者を傷付けるべきではないと思うのに、

 生まれてこの方、親であり続けた人はそうじゃなくて良いのかよ」

彼女は答えを有耶無耶にした(大声を出すなと話をすり替え、終わりにした)。

僕は母に優しくあってほしいのではない。

気を遣っているポーズもとらない程度に自分は冷たいのだと

認める強さを持つべきだ、と、訴えているだけだ。

「私は優しいけど、それは出来ない」ではなくて、

「私はそれほど優しくないから、それは出来ない」と正しく認識しているべき。

他人にこうは訴えない。求めるだけ手間だ。

彼女には求めるように敢えてしているのは、

「"分かり合えない”とか言わないで」と、あちらから無理を請われているせいだ。

「もう良い」と諦めて貰えたなら、お許しが出た思いで開放される。

これでも、手加減とでも言おうか、

最低限、つまりは特筆すべきことしか強く要求していない。

自分でも、こんなに神経質で決め事の多い人間とは

殆どの人が分かり合えないと判っているし、彼女にも柔らかく、

しかし何度もそう伝えている。世の中には向き不向きがあるって。

彼女が僕と分かり合うには、生まれ変わった方が早いと思う。

 

ちょっと前に誰かとも話したことだが、

何かが欠損していたり周囲と違ったりしている人に対して、

駄目な分だけ何倍にも高尚に過ごし、人並み(或いはそれ以上)であれ、と、

常識のように説く人はナンセンスでチープ。

「並の人生を送るには君は高尚であれ、私は違うが」

そう堂々と言い放っているのと等しい行為を、恥ずかしいと思うことはない。

でもやっぱり、自覚を伴わなくては一意見という土俵にも立てない。

と言うよりも、僕は断じて、立たせない。

「そんな訳があるか。他の狡い手段でやり繰りするか、

 人並み以下の人生に目標設定をレベルダウンするのが常套だ」

僕らの苦しみを舐めるな。