止まらない

何かに起こされて、怒りと憎悪とが燃え盛る。頭を取りたい。

元より、攻撃的な人間、と言うよりは、衝動的な人間で、

けれども自分だけは何をされても仕方がないと奴らの悪行動を看過している姿を、

奴らからは「反撃してこない安全な生き物だ」と捉えられていた。

そうじゃないよ。その手が他に及んだ時は僕だって怒ってみせた。

でも「馬鹿」で助かっただろうね。

今となってその時に生じそうになった感情が爆発して溢れてくる。

感情が、生じることをも、禁止されていたんだ。口に出すことじゃない。

思い返せば、直接関係のない連中の、

くだらないことをくだらない方法でやり込めた風にのさばっている姿に

舌打ちすること自体、一種のストレス発散だったのかもしれない。

我慢しなきゃいけない人間なんて一人もいやしない。どんな立場の人であっても。

分かっていたのに、自分には適応されないものだとずっと考えていた。

そういう感受性自体が未熟だとか宣う人は馬鹿ってことで良いや。

悪い人間に捕まり続けていたら、その人間にフィットするように「成長」する。

悪い人間の何処が悪いのかは、見ていたのだから寧ろよく解る。

ではどうして奴らから抜け出せないのかと言えば、

反論する権利が自分にはないのだと思い込まされているから。

外に出てもそのルールを適合しているから、

やはりその手の人間から好まれるようになる。最悪の仕組みだ。

 

ダブルバインドっていう言葉を見て、少し時間を経て、

僕の大嫌いなそれは、「大事だ」とか「愛してる」とか言いながら、

「大事だからずっと子供でいてね」、「愛し易いように愚かであってね」、と、

対象の無力さを盛んに説く方法だと、考えが纏まった。

否、説くと言うか、無力だと説き伏せる、言い聞かせるといった感じ。

そこに根拠なんかない。そうじゃないと可愛げがないってだけ。

なら、そういう素養(可愛げ)のある人間のところへ行けば良いと思うんだけど、

少なくとも僕に対してそういうことを言ってきた連中というのは、

僕がそういう扱いをされることを毛嫌いしているからこそ

手玉に取りたいという大層な嗜好を持っていて、

難攻不落そうなものをぶっ壊して自分の優位を誇示したいタイプだったのでは

ないかと推測する。分かりやすく言うとツンデレほど落としたい、みたいな。

いい迷惑だ。そういう人間は、子供じゃなくても大事に出来れば、

愚かじゃなくても愛せるようになれれば良い。それが出来ない度量の狭さを

他人をコケにすることで均そうとするなどどうかしている。

均せる訳がないのに、そういうことを無自覚に言っている人は

割り合い、いる。で、自分が同じことをされるとヒステリーを起こす。

僕はそういう構造を敏感に知覚し易い、或いは、

物を穿ち過ぎて勝手にそう思い込んでしまう、どちらでも良いか、

そうした性質が尖っているから、家族以外との会話が本当に油断ならない。

ていうか、油断ならないと言って油断しなかったところで、

湧き上がった整理のつかない怒りや糾弾したい衝動には

どう対処したら良いのだろうか。先週から過食が止まらなくて辛い。

 

そういう人達と付き合っていたのは、それでも好かれていたかったから?

ってよく訊かれる。他の人のケースは知らないが、僕は思い切り「NO」。

好かれたい人自体がいないというのに、

よりにもよってあんな醜悪な連中から好かれたい筈がない。

「皆もっと我慢してるんだよ」と諭されるがままに我慢してきただけだ。

あの言葉ほど宛てにならないものもないね

(自分の言葉以外、宛てに出来る言葉なんか無いと最近は思うけど。

 だって、自分の思考が通っていない言葉には説得力がまるでない)。

そう言い切れる人間に限って、僕と比較して堪え性がない。

僕は、これからもし外でまともに生きていくことが出来るようになっても、

以前みたいな無茶苦茶な我慢は決してしないだろう。

断りたい多くのことを断って、言われて腹が立った時には大体言及して。

人間関係が崩れるとか職場を追い出されるとか、

そういうのはどうでも良い。―――って言うと

また小姑が言い掛かりをつけてくるんだけど、補足はしない。

愛の無い説教なんて、する側の自己満足に過ぎないってとっくに判ってる。

 

あー、友達の前から消息不明になりたい。

僕は自分も含め、人間全般が嫌いです。気持ち悪いです。

 

(追記)

でも、ここで違和感を覚えた。

では、と、自己の気持ち悪い点を挙げていくと、

それは自分以外の人には一つも該当しない、内容物以外のことだった

(≒外見で人を嫌うことはない)。

ほぼ病気に起因すること。けれどその中には一生ものがあるから、

治せない部分が相当数ある。だから苦しいし、希望がないから死にたい、と。

それで、性格的に嫌いなところが自分にあるのかというと、特になかった。

これは、自分が自分にとって理想的な人間であるからではない。

単純に、嫌いなところがないだけで(それが理想と言えなくもないけど)。

この着眼点から、

「側を彷徨かれても別に構わない」と思える人の特徴がはっきりした。

僕に似て、「心の底から相手に一片の期待もしない人」。

おそらく、そういう人というのは、僕と同様に自分自身のことで忙しい。

僕が健全なら、僕が尽くす「自分自身のこと」とは、

こんな一文にもならない思考ばかりではなくて、

何かしらのスキルアップに繋がる行動が七~八割

(根拠はない。けど、かなりの個人主義者だし)、もしくは、

自分自身のためにただただ怠けることが十割。

それで忙しいが故に他人に対して淡白な人なら、全く邪魔にならない。

何も望まない自分と対比するから仕方のないことなんだけど、

僕を囲む人は僕に対して「ああなってほしい」、

「こうなった方がいい」と考え過ぎ。言葉尻に透けて見えて凄く煙たい。

それっていうのは、「私をもっと満足させろ」、

「私により適した人間になれ」と明言しているようなものなんだけど、

無自覚なんだろうな、と思う。僕は貴方がたに望むことなんか一個もないよ。

「もっと~~~になった方が幸せになれると思う」と言われる頻度もまた、高い。

そんなことはどうでも良い。病まなくて済む方法でも語ってくれた方がましだ。