さいゆーきがいでん

最遊記外伝OVAを観た。原作は最終巻未読。

飛ばすなあとか、動かないなあとか、アニメの出来には思うところもあった。

けれど今回は終幕についてだけ触れる。

 

原作の最終巻を知らなかったので(OVAとは差異があるらしいものの)、

金鈷が外れているのに悟空として泣いている斉天大聖にはショックを受けた。

最近の最遊記ではどうなのか分からないけど、

本編初期の斉天大聖といったら快楽殺人鬼で、変わったら最後、

人の話なんか聞かないで視界の生き物を殺し尽くすまで

止まらないような奴だったのに、

そんなそいつが普通の子供みたいに全身で泣いている。

このシーンで、斉天大聖はもう一つの人格でも裏でも陰でもなく、

悟空そのものなのだと思い知ってガツーンときた。

悟空というキャラクターを考える上では

これくらい美味しいものを表現しない手はないと分かっていた筈なのに。

二つは地続きなんだな。

斉天大聖の状態で悟空の人格が滲み出てしまうほどに

悟空の悲しみが大きかった、などと説くよりも、

そう考えた方が趣がある気がする

(地球の反対側を同じ地上と表すくらい、殆ど同義なんだけどね)。

 

もともと外伝に特別惹かれていた。理由は、

本編にちょくちょく出てくる放心した哪吒が気になって仕方がなかったから。

でも結局、彼には救いらしい救いが描かれなかったから、

もしかしたら本編で悟空と再会するシナリオがあるのかもしれない。

ないのかもしれないが。

(そういえば哪吒も、一つ前のエントリーで挙げた上三人に似て、

 三蔵一行を見守っている神秘的なキャラクターだ。)

もう一つの理由は、小さい頃の悟空が不思議と悲愴感とに包まれていたから。

岩で出来た檻に500年も幽閉されていたり、

幽閉中に友達になった小鳥の亡骸に手が届かなかったりと、

あの髪の長い悟空には物悲しいイメージが付き纏う。

 

ところで、ジープがあの人の生まれ変わりということは、

思考回路もあんなに堅物だったりするのだろうか。